監督メッセージ
私は旧満州の一部と見られていた関東州の大連に生まれ、小学校も女学校も旅順。そして戦後、引揚げてきました。しかし、同じ満州でも最南端の都会に暮らしていた私は、戦後、満州の奥地で起きていたことを知りませんでした。知ることになったのは「中国残留日本人孤児」の来日調査がはじまり、さらに2002年に中国「残留孤児」国家賠償請求訴訟がはじまったことがきっかけでした。裁判がどうなるかと見守っている間に、中国東北地区の方正(ほうまさ)県にある「方正地区日本人公墓」のことを偶然知ることになりました。
方正地区にはソ連軍の満州進駐、日本の敗戦によって、満州の奥地から多くの開拓民が避難してきて、ここで数千人もの人が亡くなっているのです。「この人たちの遺骨をお墓に」と願ったある残留婦人の思いを受け止めたのは、中国の周恩来総理でした。周恩来の指示によって、中国方正県政府が建設したのが「方正地区日本人公墓」なのです。
「お国のため」と送り込まれた満州移民は敗戦によって、遺棄されたも同然となりました。その体験者の多くはすでに亡くなっていますが、多くの方にインタビューし、日本の近現代史を振り返り、日中友好が大切であることを考えました。(2008年、羽田澄子)